それからまた静かに時は流れていった。桜は相変わらず人間の前でさくらになろうとはしなかった。人間はまだあの連れと一緒に来ていたからだ。連れもよく飽きないものだといっそ感心する。

 桜はほんの少しだけ歳を重ねた。花を咲かせる度に身体の丸い模様は確かに刻まれていたが、数えきる事は出来ないだろう。そもそも、桜は身を切ろうとも思わなかったのだから、確かめる術もないのだけれど。

 春夏秋冬はゆっくりと過ぎて、その度人間は歳を負った。ただ背が大きくなるだけではなく、少しずつ衰えも見えてきた。相変わらず桜は人間の前には現れなかった。連れはまだ、一緒に来ていたから。

 桜は考えた。花びらを受け取る手に、いつから柔らかさがなくなったのだろう。初めて会った人間は随分と幼くて、さくらになって尚腕に包み込めてしまいそうな程小さかった。今ではきっと、さくらの方が幼くて小さい。

 桜は考えた。人間との時間の流れは一体どれほど違うのだろう。もう嵐に怯えるような脆弱さはない。ゆっくり朽ちていく事を待つとしたら、後どのくらいで。

 桜は今までそんな事を考えなかった。桜の周りにはまだ若い木々しかいなかったし、鳥も人間もそんな事を考える前にいなくなっていた。考えて、考えて、考えて、答えの無い事をずっと、一人で。

 一人ぼっち、で。

「――………」

 人間は桜を見上げた。桜の繁った葉が一際大きく揺れたのだ。風が吹いたわけではない。桜の繁った葉が一際大きく揺れたのだ。連れも同じように桜を見上げた。桜の繁った葉はもう揺れていなかった。人間は木にもたれて目を伏せ、連れは立ち上がった。

「日が落ちる前に来るから」

 声がまるで空気に溶けてしまったように、人間は何も言わなかった。連れもそれ以上何も言わず、少し曲がった背中をゆっくり正して森に向かう。人間はその姿が見えなくなってから、やっと目を開いた。その顔に表情はなかったが、幹に身を寄せるとほんの僅かだけ口を震わせた。

 随分な時間が経った頃、桜は枝を震わせた。花はまだ咲いていなかったから、葉と内にある桜色を混ぜて髪を紡いだ。緑が加わって決して良い色とは言えなかったが、桜は気にしなかった。新しく伸びてゆく枝で作った腕も手も不格好だったが、さくらは気にしなかった。

 人間の目は開いていたが、さくらが枝から落ちても何も言わなかった。立ち上がるにも上手くいかないさくらがもがいても、人間は何も見なかった。

 さくらがその隣にやっと並んで、座るのも難しく寝転がる。人間は遠く森を見て、桜もさくらも見なかった。

 日が落ちかけて連れが来て、さくらは変わらずそこにいたが何も言わなかった。人間は連れと共に帰っていき、さくらは寝転がったままだった。

 桜がざらざらと耳障りな音を立て、さくらはそっと目を閉じた。