人間は、その後も何度か連れと共にさくらを訪ねた。けれど桜はじっとして、さくらになる事は決してなかった。

 桜はただ怖かったのだ。確かに自分に笑いかけてくれる人間は優しかったが、連れは見も知らぬものだったから。そうして自分を怖がって、人間が連れに嫌われる事が何より怖かった。

 人間はさくらの話を楽しそうにし続けた。やはり桜は黙っていたが、二人は何度でもやってきた。

 あの日までさくらだった枝や花は、全て桜の下で土になっていた。桜はあれから何度も花を咲かせ、人間は飽きもせずにやってきた。さくらの話は少しずつ減っていた。

「来ないね」

 人間が言ったのか連れが言ったのか、桜にはわからなかった。最近は随分と減っていたさくらの話題に、相槌を打ったのは人間だった。少し驚いたような表情を浮かべている。桜もきっと、さくらなら同じ顔をしただろう。

「随分大事にしてるから、会ってみたいのに」

 残念そうなというよりは、拗ねたような表情だった。蕾から近い春を覗かせる桜を少し見上げて、連れは僅かに苦笑した。桜はまた驚いたが、小さく身体を揺すってみせるだけだった。

 まさか桜がさくらだと思いはしないだろう。けれど、桜は少し不安になった。桜がさくらだと知られたら、燃やされかねないかもしれない。嫌いになる前の鳥に、そんな話を聞いていた。

 連れは不意に立ち上がり、軽く手を上げて帰っていった。人間はまだ腰を上げる気はなさそうだった。

 緩やかに風が横を過ぎていき、人間の髪を静かに揺らした。雲がゆっくり晴れていくと人間が眩しそうに目を細め、桜は葉の繁る梢をその目元にかざした。人間が桜を見上げる。桜は梢をかざしたままでいた。

「…眠い」

 人間が桜に言ったのか、ただの独り言だったのかはわからなかった。桜はそれを問う言葉を持ってはいなかったし、今はさくらですらもなかった。人間は桜の幹に身体を預けたまま、然程時間もなく静かな呼吸を繰り返した。

 桜がざわめき、さくらが枝から下りた。落ちた、というのが正しかったかもしれない。大きな音は響いてしまったが、人間は眠ったままだった。さくらはその隣にぎこちなく腰を下ろした

 身体が固くなっているのは仕方がない。それでも、さくらはほんの少しだけ眉を寄せた。

 人間はさくらとして会わない間に、歳を取っていた。長い時間を持つ桜は変わらなかったが、確かに人間は歳を重ねていた。まだ半分は過ぎていないだろうが、人間の身体は最初に会った時より幾分大きかった。

 さくらは人間の温かい温度に身を寄せて目を閉じた。人間は目を覚まさなかったが、さくらの冷たい温度にほんの微かだけ擦り寄った。

 人間が目を覚ました時、固い枝と柔らかな花がその膝にただただもたれていた。