日が随分と傾いて、やっと人間は目を覚ました。さくらの視界は霞んでいてよくわからなかったが、何か言葉が聞こえた気がして顔を上げた。人間はぼんやりとしていて、上にある桜も見えているのかわからなかった。

 さくらは両手を前について顔を覗き込んだ。それに人間は億劫そうに瞬きをして、小さくまた何かを言った。さくらには、連れの名前に聞こえた。

 胸が締め付けられるような、さくらは忘れられないものとして桜にも刻んだ。その感覚が何を示しているのか、さくらは知らなかった。知らなくても、知らない方がいいと思った。

 人間の声は少しずつはっきりとしてくる。やはり連れを捜すような、そんな声だった。さくらは人間の髪を梳いた。人間は安心したように目を細め、さくらを見た。見た、と思った。

 人間は笑った。笑って、何かを小さく呟いて、さくらに言ったのか連れに言ったのかもわからないまま、目を閉じた。握っていた手に力がこもって、ふっと抜ける。さくらは目をほんの少し丸くさせた。

 温もりはまだそのままで、笑顔はまだそのままで、人間は止まった。さくらは握った手を持ち上げてみたが、まるで無機質な重みだけが返ってきた。さくらは手を離してみたが、握っていた手は呆気なく落ちた。柔らかい花びらが、キュ、と小さく鳴いた。

 さくらは深く深く俯いて、ガラスのように澱み一つ無い瞳で人間を見つめた。もう一度握ってみた手はさっきよりも冷えて、さくらの冷たい体温に残り少ない温かさを全て渡してしまおうとする。思わず、離した。

 さくらが口を少し開く。桜が大きく身体を揺する。さくらが喉を引き攣らせる。桜が枝を何度も擦り合わせる。さくらがわななく口を必死に開く。桜が花びらを容赦なく振るい落とす。

 サクラが、声もなくざわめいた。サクラは何度も体を震わせて、人間の上に花びらや水を落とした。辺りの木々が揺れるほど、辺りの鳥が歌うのを止めるほど、辺りの風が歩みを止めるほど。何度も、何度も、何度も、何度も。

 さくらの身体は軋んで折れて、柔らかい花びらの上に不恰好に転がった。